ゴシップガールが終わった。2012年の夏に山崎まどかさんの『女子とニューヨーク』を読んで、「つまりゴシップガールはあの人であるべきなんだよね?」と気づき、その年の終わりに真相を知り、叫びました。予想は当たっていた。誰かに話したい。でもネタバレになる。 それからだいたい1年半後、ようやく日本放送も最終回を迎えたし、いい加減黙っているのもうんざりだし、好き勝手書くためのブログだし、書きます。以下ネタバレ含む。
ゴシップガールは、 アッパーイーストに住む金持ちの息子と娘の酒とドラッグとパーティーとセックスにまみれた日常のお話。なんでも手に入るボンボンの日常をシーズン6も観せられるのかとげんなりしそうになるけれど、そう単純ではない。この金持ちの中にブルックリンの孤独な文学青年やインディペンデントな女の子が入ってきて、彼らは皆、ゴシップガールという名のゴシップサイトに翻弄され、時に利用しようとする。シーズンを通して、カップルができては別れ、親友同士が憎み合い仲直りするんだけど、一貫しているのはゴシップガールは誰?ということ。で、このゴシップガールの正体は文学を愛する孤独な僕ことダン・ハンフリーだということが最終話でついに明かされる。
若者の群像劇で、金持ち集団にそうではない子供たちが紛れ込むというのは比較的ありふれている。ビバヒルもThe O.C.もそうだった。なので、どれも、なんらかの形で社会の格差を描かざるをえないし、そうした格差を背景とした学校での権力関係が浮き彫りになる。さらに、このわたしたちのステレオタイプな思い込みとズラしたキャラクターを描く。パーティーガールのサマーは実は文学少女とかね。
しかし、わたしはこの2作にはそこまではまらず(後者に至っては、オレンジカウンティなんて保守的な金持ちの住む街の話をどう楽しめようか、ぐらいに思っていた)、ゴシップガールはどんなに後半で評判を落とそうとも、毎回放送を待ちわびていた。単に西海岸より東海岸に興味があるとかくだらない理由もあるけど、ゴシップガールはゴシップサイトという真実と嘘と裏切りと策略が発揮される装置があるから、よりグッときたの、多分。
例えば、セリーナやその母親のリリーは、一見アッパーイースト的価値観の異端者で、財産と名誉と家柄を守るためなら何でもするという祖母のシシーと対立しているけれど、結局のところ彼女たちにとって真実とはさして重要なものではないし、自分たちの価値観を変えようとしない。評判ばかり気にするシシーが、最後には自分たちを利用した庶民であるアイヴィーに心を許したのに。だからセリーナはダンと付き合っても、彼を彼女の世界に引き込もうとするだけで、ダンとブレアのように、センスが良く、みんなから一目置かれるような、アーティストたちのサロンを作ろうと努力することは決してない。そんなセリーナに対して、アッパーイースト的価値観を盲目的に信じているように見えるブレアは、愛のために真実を暴露しようと奔走する。アッパーイーストの連中なんて金に物を言わせて、人を欺き、本当に大切なものを何もわかっていないというスタンスだったブルックリンのヴァネッサは、彼女が毛嫌いしていた連中と同じように陰謀に加担してしまう。
ゴシップというのは、真実であり嘘であり、 人々は何らかの意図をもってそれらを流したりする。それは、自分を利するためだったり、誰かを陥れるためだったり、欺瞞に対して真実で戦うためだったり。それらすべてが坩堝と化しているのがゴシップガールで、それがこのドラマの面白いところなんだと思う。
最終シーズンで、かつて冴えない眼鏡っ子だった現ファッション・レポーターのネリー・ユキが、作家としてくすぶっているダンに向かってこんなことを言う。「上流社会に憧れるギャツビー願望を捨てられずにいるけど、わたしもあなたも負け犬でのけ者、負け犬の武器は真実、わたしたちはそれで戦うの」。彼女の言葉は、ダンがゴシップガールだと知った後で聞くと恐ろしい。ネリーは、あんたはいつまでもセリーナやブレアを追いかけているけれど、結局彼女たちはわたしたちに自分たちのルールを押し付けるだけ、あんたの武器であるペンであの世界の真実を描け、それで勝てるのだ、あんたにはその力があるはずだと発破をかけているわけだけど、もうすでにセリーナやブレアの世界の本当の姿を誰よりも知ってるのがダンで、まさに、ずっと裏でアッパーイーストの連中を翻弄してきたのも全部、孤独な僕ことダン・ハンフリーなのだ。
NYのゴシップガールの歴史からすると、ダンはセリーナになりたくてゴシップガールになったという結末であるべきだし(参照:『女子とニューヨーク』の第3章)、何も持たない青年が真実を武器に虚栄と戦う話なら最後は復讐であるべきだけれど、なぜだか、セリーナに近づきたくてサイトを始めて、最後は彼女を手に入れてめでたしめでたし。この点だけは不満が残りますが、長い間お疲れ様でした。大好きだったよ。
あと、一度もゴシップガールに投稿していないのがぼんやりしたお坊ちゃんのネイトだというのが、清廉潔白な男前とならず、単なるボンクラにしか思えない。セリーナとリリーは見た目はあんなに素敵なのになぜ中身がああもクソなのか。でも美しければいいのかな。ブレアは好き。傲慢で自分勝手で、彼女は「あなたの思い通りにはならないよ」という意味でのビッチ。ルーファスを見ると、レモンヘッズのフロントマンを思い出す。俺様チャック様は面白い。でもそれだけじゃなくて、彼の両親に見捨てられ、それ故にやけくそに生きていて強烈なカリスマ性があるというキャラクターはskinsの第2世代のクックと同じ。skinsを観ながら、これはアメリカのティーンのドラマの裏街道だなと思ったのは、この2人の存在が大きい。これはいつかもうちょっとメモにまとめたい。
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