2016年12月30日金曜日

The Gilmore Girls are back

先月、ギルモアガールズのリバイバルがNetflixで公開されました。わたしはこのドラマがとても好きで、このブログのタイトルである「Life is short, Talk fast」はギルモアガールズに由来しています。もう何年も、落ち込むと観て、泣きたくてもう布団から二度と出たくないとギルモアガールズを再生し、もう勉強も何もかも放り出したいと思うとまた観て、ここ数年、わたしがどうにかやってこれた一つの要因はギルモアガールズです。だから、リバイバルはとても嬉しかったし、現時点でのこの物語の結末には満足してます(続編があるかもしれないからね)。でも、こんなはずではなかったのにとほんの少し思うの。だからブログを書きます。ネタバレになる箇所があるかもしれないから気になる人は読まないように。

ギルモアガールズが帰ってきた。しかも2016年の11月に。
この月に何があった(そしてリバイバル情報解禁時だと何が予定されてるか)当然分かるよね?オバマの次の大統領が決まる月。S7の最後、イェール大学を卒業したローリーはオバマ大統領選の同行記者としてニュースサイトに採用される。つまり、NEXTオバマが判明した後に、ギルモアガールズは帰ってくるというスケージュールだったわけ。まあ、バーニー案外前線しててありえなくもない?順当にヒラリー?でも次は共和党に戻ったりするの?でもまあ、トランプはないよね。これは当時のわたしの気持ちです。で、この結果よ。分かるよね?この絶望感。これが最初なわけではないの。わたしが選挙権を持つ地域でも、他のところでも。わたしが望ましく思おうが思うまいが、なくはない結果だった。でも、こんな11月にギルモアガールズが帰ってくるはずじゃなかったのに。

ギルモアガールズはリベラルなのか?
よくわからない。

ギルモア家は案外先進的なのかもと思われる箇所もある。かたくなにローリーの存在を認めないヘイデン家やキャリア志向の女性はうちの息子の結婚相手としてふさわしくないというハンツバーガー家と比較してだけど。
スターズホローは変わり者に非常に寛容。年に何度もヘンテコなお祭りが開催されるし、街のオフィシャル吟遊詩人までいて、しかも彼はタウンミーティングにちゃんと参加する。何度も結婚と離婚を繰り返す元ダンサーのパティさんは眉を顰められることなくダンス教室を運営してるし、頭の固い田舎の男性に見えるルークはダイナー経営者なのにコーヒーの飲みすぎだの肉ばっか食ってんじゃねえだとと料理のできないローレライ親子を気に掛ける。

そう、この親子は家事をあまりしない。部屋は散らかりがちだし、洗濯も溜めがち。クリーニングを取りに行くのも忘れる。キッチンはコーヒーを入れてデリバリーの残りを温めるためにある。
ローリーと当時の彼氏であるディーンが絵に描いたような50年代の母親が描かれるドナ・リード・ショーに関して言い争いをする。ディーンは「家族が仲良さそうで、妻が夫のために食事を作って喜んでいるし、料理を作って家族のために尽くすのが本当に好きなのかも」とローリーのこのテレビドラマに対する批判をさっぱり理解してない。それに対してローリーは「ドナ・リードはドーナツやケーキやシチューを一回の放送で大量に作る。あなたはそういうのに憧れてるでしょ?でも問題は夫のために料理を作ることではなく、完璧に家事をこなして一生誰かに仕えて人生を終えること」と反論するも「それはそれで見方を変えれば幸せなことかも」と議論は平行線。そもそも、父親が息子に自分と同じ名前を付けることはあるのに母親が娘にそれをやっていけないことはないとフェミニスト熱が高まったローレライが自分と同じ名前を付けた娘がローリーで、ナイスガイだけどボンクラなディーンの議論が交差するわけがないんだ。

その反面、人種やセクシャリティの多様性が描かれているかというとそれはない。S7までだとやっぱり基本的にはアメリカの保守的な街を描いている。だから、いま観るとドラマ全体は少し保守的。しかし、このドラマはまだブッシュ・ジュニアが大統領であった2000年から2007年にかけて放送されたことは考慮すべきだと思う。その後、オバマが大統領になり、Gleeが始まり、Lady GagaのBorn This Wayだ。就任当初はオバマですら同性婚の支持はしてなかったんだよ。ギルモアガールズ終了後の数年で大きく変わったの。

そして2016年11月にギルモアガールズが帰ってきたわけ。
ミシェルは男性の恋人と結婚して養子を迎えるかでもめているし、テイラーはタウンミーティングで「Happy Holiday」と言う。ついでに、ルークの店では偽のWi-Fiのパスワードが伝えられる。
なのに、現実ではストレートの白人男性がふんぞり返っていればよかった50年代に戻りたがっているような男が次の大統領に決まった。こんなのってあんまりだ。

life is short talk fastというのはこのドラマの本質だと思ってて、だって喋りまくり、やたらと本を読んで映画とドラマを観る。
ローリーは人生は有限なのに世の中にはこんなに本があるのに私は全然読めてないと通学バックにハードカバーを4冊突っ込むような子。それなのにリバイバルは少し立ち止まり内省的。
ようやくローリーが動き始めるのはジェスと再会してから。
「荷物は段ボールに詰まったまま三つの家に散らばってるし、仕事も家もお金も下着もない、人生の落伍者」と落ち込むローリーに指針を与える。
「本を書けよ、俺には題材も見える」と再開して五分も経たず、ローリーの人生を立て直した。
とりあえず、世界中のチーム・ジェスのみんな!わたしたち相変わらず他のチームに大差をつけているよ!

2014年12月28日日曜日

I'm cook


 Skinsの第2世代で、1番好きなのはナオミ。なので当初クックは不愉快な男でしかなかった。でも、この2人が信頼関係を築いていくにつれ、この印象は変わる。わたしは単純。一般的に無条件だということになっている親族からの愛情に2人とも恵まれていない。だからなのか単にたまたまなのか、愛情を持って差し伸べられた手に対して、彼らはどう対処していいか分からない。というか、クックは、実質そうした手を果たして得ていたことがあったのか分からない。でも、だからこそ、彼らは、愛だの恋だのセックスだのを抜きに、お互いを信じている。S4でともに罪悪感を抱えたナオミとクックのこんな場面がある。ナオミが「あんたは他のみんなよりハードに生きていて、人生を大事にしてるね、羽散らかして、その中で転げまわって、一瞬も無駄にしたくないみたい」と自己嫌悪でいっぱいの自分とクックを比較するんだけど、それに対して「でも他の奴が濡れて俺はそんなのクソどうでもいいと思っているけど、ちょっと堪える、だろ?」とめずらしくクックが心境を吐露し、ナオミが彼の肩に頭を乗せる。このシークエンスは、Skins全シーズンを通してベスト。

 S4の最後、クックが「I'm Cook!」と殴りかかる時、ああ、この子は「ゴシップ・ガール」のチャック・バスと似てるんだと分かった。彼らはいくつかの点で異なっているものの、似ている。共に、片親がいなくなり(どこかに行ってしまった、その行き先がどこか別の土地でもあの世でも、とにかくどっかに行った)、残った親からは疎まれている。その上、自分の両親と思っている2人が実際にそうであるかは確信が持てない。家族から見放され、酒とドラッグとセックスに逃げる。彼らは常に「お前は無価値だ」と言われ続けてきた男の子たち。だからこそ、彼らの行動指針は「おれはクックだ」もしくは「チャック・バスだ」となるのかもしれない。

 チャックにネイトやブレアがいたように、ひょっとしたらそれ以上の存在として、クックにはフレディとJJがいた。彼らは無敵の三銃士で、いつもたむろしていたフレディの小屋は安住の地だった。でもフレディは死に、逃亡犯であったクックはさらに殺人を犯す。これが彼らの物語の行き着くところだ。正直、Riseでの単なる下っ端売人のクックなんて誰も観たくなかったはず。でも、Riseで巻き込まれるように犯罪を犯すクックを見て、彼はもう「他の奴が濡れるのなんてそんなのクソどうでもいい」と言えなくなったんだと思った。そして、少しナオミのことを思い出すの。大人になるのは頼もしいけど悲しい。避けられないことだから余計に悲しい。

2014年12月25日木曜日

第2世代


Skins第2世代。初回を観たとき、恋愛偏重の過剰なお話のどこをどう楽しめばいいのかと途方に暮れた。お願いだからキャシーとシド帰ってきてって。しかし、大変素晴らしい2シーズンでした。とりあえず、 出てくるのはこんな子たち。

エフィー:ブルネットの美人。第1世代のトニーの妹。情緒不安定なパーティーガール。酒を飲み、煙草を吸い、薬物を摂取し、男とすぐ寝る。 S7時に主人公である、エフィー、キャシー、クックのプレイリストが挙げられていて、エフィーの1曲目がエリー・ゴールディングで、ここでビョークだとかわけわからないセレクトをしないUKのドラマ制作スタッフのみなさんは素晴らしい。ブラボー!

フレディ: 「スノーピアサー」で列車内をダッシュしてた男前。エフィーに一目ぼれして、コレッジでの初回授業で「今日好きな女の子にであって、その子はきれいな子です」と言ったり、彼が出てくると少女漫画的モーメントが連発され、わたしは毎回赤面する。

クック: 写真だとポロシャツの子。ラッドでマッチョで、柄が悪くて、そこらへんで徒党を組んでそうな、まさにわたしの思うUKの男の子。フレディとJJと幼馴染で、でもみんなエフィーを好きになってしまい、困ったねというのが第2世代の1つの主軸。

JJ:くるくるヘアーのマジックを愛する男の子。たぶん、発達障害かなにか問題を抱えている。 第2世代の男の子ではJJが1番好きって人結構いると思う。不器用で、童貞で、自分と仲良くしてくれる人がいるのは分かっているけど、普通じゃないクレイジーな奴でしかないんだよと自虐的になったりもして、それが大変魅力的。特に、エミリーとの関係がすごく好き。

パンダ:右の女の子。エフィーの親友で、第1世代の時にも出てる。不思議ちゃん。それは、キャシーが男の子が思う、自分たちの都合のいい女の子としての不思議ちゃん感とは全く違う、本当に、不思議な人。英語、何言ってるかさっぱりで、字幕つけてもあまり解消されない。

ナオミ:左のブロンドの女の子。美人で賢くてしっかりしていて、でも、彼女は人にどう頼っていいのかわからなくて、かわいくてかわいくて、抱きしめてあげたい。ナオミがエミリーに気持ちを吐露する最終話は、わたしにとっての1つの希望。あと、エミリーが玄関で猫の出入り口からナオミの手を握るところ!

エミリー: ナオミの隣の子で彼女のことが好き。ケイティと双子。彼女は基本的には意志の人で、S3E9での「わたしは女の子が好きなの。というか、ある女の子が好きなの。そうじゃない、わたしは彼女が好きなの」とナオミを指さすのは本当に素晴らしい告白シーン。gleeでサンタナに対するひどい扱いにライアン許すまじと思ったみなさん、みんなSkinsみればいいんだよ!

トーマス:コンゴから家族でやってきた黒人の男の子。 ラップやったり、イベント主催したりと、なかなかいけてる。わたしは、トーマスみてるとタイニー・テンパーを思い出す。

お話の主軸は、エフィー、フレディ、クックの三角関係で、これがいまいち。とにかく3人とも過剰で、第1世代と同様に、エピソードごとに主人公が変わって、だから、ちょっと携帯小説めいたこの三角関係にはまれなくても、問題ない。わたしは、ナオミとクックの関係が好き。ナオミを通してクックを好きになり、S7のRiseを見終えて、この2人はもう二度と会うことはないのだと悲しくなった。



2014年10月22日水曜日

社会的に排除された女の子

 Skins第1世代で、マキシーのストーカーとして登場するスケッチ。わたしが思うに最もノー・フューチャーな女の子。

 例えば、アンワーは、Aレベルでひどい成績をとり大学進学が絶望的となっても、一緒にロンドンに行こうよと誘ってくれる親友のマキシーがいる。もしロンドンに行かなくても、敬虔なイスラム教徒の家庭に生まれた彼には、受け皿となるコミュニティも家族もいる。でも、スケッチには何もない。自分とマキシーはいずれ結ばれる運命なのだという思い込みだけ。彼女に待っている現実は、地元に残り、病気の母親を介護することだけ。ああ、この子を取り囲む状況はなんて恐ろしいんだろうか。

 Skinsと同じ系列局で放送されていた「TOP BOY」というロンドンの公営住宅周辺の男の子たちのお話がある。このドラマはおそらく2人主人公がいるといってよくて、1人は売人のドゥシェン。彼がロンドンの麻薬産業の中でどうサヴァイブしていくかというのが物語の1つ軸。もう1人の主人公ラネルは、母親が精神科に入院して1人取り残され、さあどうする?というお話。入院した母親は病院のスタッフに「家族は?」と尋ねられるが「いない」と答え(おそらく息子と引き離されると思ったから)、そこから彼のぼっち生活が始まる。ただ、ラネルはスケッチと違う。まず、母親は見舞いに来た友人男性にラネルのことを頼む。それに、ドゥシェンが仲間に入らないかと持ち掛ける。ドゥシェンは彼にこんなことを言う。「お前のママは最近見かけないよな,、おれらは家族だ、金を稼いで一人前の男になりたいなら面倒見てやる」。これは売人への悪魔のお誘いなんだけど、どう判断したらいいんだろうとわたしは途方に暮れる。

 イリーガルな稼業に手を染めないほうがいいに決まってる。小金は稼げてもたいていは割に合わない。ギャングの命はえてして短い。でも、すべてから見捨てられたスケッチとギャングだけど手を差し伸べる相手のいるラネル(いやラネルにはママの友人がいるんだけど)どっちがマシなのだろう。わたしは「牛丼は社会保障」論に懐疑的なのと同様に、ひどい選択でも命をつなぐのだからあるだけマシとは言い切れない。これは確かなこと。しかし、誰もいないより誰かいた方がいいのも同じように確か。じゃあスケッチよりギャングに勧誘される男の子の方がマシなの?そんなわけないよね?そもそも、こんな問いの立て方自体が倫理的に間違っているのは分かっている。でもスケッチのエピソードを観る度に、社会からの排除される程度問題についてぐだぐだ考え、鬱々とする。

 ちなみに、スケッチ役のエイミーは「ジョン・ルーサー」で家出をした挙句、ポルノ映画に出演する女の子の役を演じている。



 

2014年8月19日火曜日

わたしのこと好きだよね?



 ゴシップガールが終わった。2012年の夏に山崎まどかさんの『女子とニューヨーク』を読んで、「つまりゴシップガールはあの人であるべきなんだよね?」と気づき、その年の終わりに真相を知り、叫びました。予想は当たっていた。誰かに話したい。でもネタバレになる。 それからだいたい1年半後、ようやく日本放送も最終回を迎えたし、いい加減黙っているのもうんざりだし、好き勝手書くためのブログだし、書きます。以下ネタバレ含む。

 ゴシップガールは、 アッパーイーストに住む金持ちの息子と娘の酒とドラッグとパーティーとセックスにまみれた日常のお話。なんでも手に入るボンボンの日常をシーズン6も観せられるのかとげんなりしそうになるけれど、そう単純ではない。この金持ちの中にブルックリンの孤独な文学青年やインディペンデントな女の子が入ってきて、彼らは皆、ゴシップガールという名のゴシップサイトに翻弄され、時に利用しようとする。シーズンを通して、カップルができては別れ、親友同士が憎み合い仲直りするんだけど、一貫しているのはゴシップガールは誰?ということ。で、このゴシップガールの正体は文学を愛する孤独な僕ことダン・ハンフリーだということが最終話でついに明かされる。

  若者の群像劇で、金持ち集団にそうではない子供たちが紛れ込むというのは比較的ありふれている。ビバヒルもThe O.C.もそうだった。なので、どれも、なんらかの形で社会の格差を描かざるをえないし、そうした格差を背景とした学校での権力関係が浮き彫りになる。さらに、このわたしたちのステレオタイプな思い込みとズラしたキャラクターを描く。パーティーガールのサマーは実は文学少女とかね。

 しかし、わたしはこの2作にはそこまではまらず(後者に至っては、オレンジカウンティなんて保守的な金持ちの住む街の話をどう楽しめようか、ぐらいに思っていた)、ゴシップガールはどんなに後半で評判を落とそうとも、毎回放送を待ちわびていた。単に西海岸より東海岸に興味があるとかくだらない理由もあるけど、ゴシップガールはゴシップサイトという真実と嘘と裏切りと策略が発揮される装置があるから、よりグッときたの、多分。

 例えば、セリーナやその母親のリリーは、一見アッパーイースト的価値観の異端者で、財産と名誉と家柄を守るためなら何でもするという祖母のシシーと対立しているけれど、結局のところ彼女たちにとって真実とはさして重要なものではないし、自分たちの価値観を変えようとしない。評判ばかり気にするシシーが、最後には自分たちを利用した庶民であるアイヴィーに心を許したのに。だからセリーナはダンと付き合っても、彼を彼女の世界に引き込もうとするだけで、ダンとブレアのように、センスが良く、みんなから一目置かれるような、アーティストたちのサロンを作ろうと努力することは決してない。そんなセリーナに対して、アッパーイースト的価値観を盲目的に信じているように見えるブレアは、愛のために真実を暴露しようと奔走する。アッパーイーストの連中なんて金に物を言わせて、人を欺き、本当に大切なものを何もわかっていないというスタンスだったブルックリンのヴァネッサは、彼女が毛嫌いしていた連中と同じように陰謀に加担してしまう。

 ゴシップというのは、真実であり嘘であり、 人々は何らかの意図をもってそれらを流したりする。それは、自分を利するためだったり、誰かを陥れるためだったり、欺瞞に対して真実で戦うためだったり。それらすべてが坩堝と化しているのがゴシップガールで、それがこのドラマの面白いところなんだと思う。

 最終シーズンで、かつて冴えない眼鏡っ子だった現ファッション・レポーターのネリー・ユキが、作家としてくすぶっているダンに向かってこんなことを言う。「上流社会に憧れるギャツビー願望を捨てられずにいるけど、わたしもあなたも負け犬でのけ者、負け犬の武器は真実、わたしたちはそれで戦うの」。彼女の言葉は、ダンがゴシップガールだと知った後で聞くと恐ろしい。ネリーは、あんたはいつまでもセリーナやブレアを追いかけているけれど、結局彼女たちはわたしたちに自分たちのルールを押し付けるだけ、あんたの武器であるペンであの世界の真実を描け、それで勝てるのだ、あんたにはその力があるはずだと発破をかけているわけだけど、もうすでにセリーナやブレアの世界の本当の姿を誰よりも知ってるのがダンで、まさに、ずっと裏でアッパーイーストの連中を翻弄してきたのも全部、孤独な僕ことダン・ハンフリーなのだ。

 NYのゴシップガールの歴史からすると、ダンはセリーナになりたくてゴシップガールになったという結末であるべきだし(参照:『女子とニューヨーク』の第3章)、何も持たない青年が真実を武器に虚栄と戦う話なら最後は復讐であるべきだけれど、なぜだか、セリーナに近づきたくてサイトを始めて、最後は彼女を手に入れてめでたしめでたし。この点だけは不満が残りますが、長い間お疲れ様でした。大好きだったよ。

 あと、一度もゴシップガールに投稿していないのがぼんやりしたお坊ちゃんのネイトだというのが、清廉潔白な男前とならず、単なるボンクラにしか思えない。セリーナとリリーは見た目はあんなに素敵なのになぜ中身がああもクソなのか。でも美しければいいのかな。ブレアは好き。傲慢で自分勝手で、彼女は「あなたの思い通りにはならないよ」という意味でのビッチ。ルーファスを見ると、レモンヘッズのフロントマンを思い出す。俺様チャック様は面白い。でもそれだけじゃなくて、彼の両親に見捨てられ、それ故にやけくそに生きていて強烈なカリスマ性があるというキャラクターはskinsの第2世代のクックと同じ。skinsを観ながら、これはアメリカのティーンのドラマの裏街道だなと思ったのは、この2人の存在が大きい。これはいつかもうちょっとメモにまとめたい。




2014年2月23日日曜日

unseen

skinsにはunseenというウェブサイトで公開されるおまけのお話も作成されていて、これもすごくいい。第1世代で好きなやつ。

困り果てたクリスをみんなが助けるお話。マキシーがかわいい。



パーティーアニマル、クリス。ゲストはfoals。キャシーは街を出て、トニーは入院中なので2人は不在。



トニーの悪夢。



2014年2月6日木曜日

ふわふわしたブロンドの女の子

 わたしの髪の毛は大概短い。美容院でシャンプーしてもらっている時、ずっと短いのかだとか最も長かった時はどれくらいだとか適当な会話をしてたら、アシスタントの人が「でも、ロングでふわふわの髪だと妖精っぽいですよね、小さい女の子とかがそんな髪型してると」と言って、ああそうねーと思った。でも、その時わたしの頭にあったのは小さな女の子ではなく、キャス。彼女は小柄な人ではない。でも、ロングでふわふわしたブロンドの妖精みたいな女の子。わたしは第1世代で彼女が一番好き。



  キャスは、こんな見た目な上、拒食症で入退院を繰り返し、シドの脱童貞大作戦では、彼女はそのお相手と目されて、もう、完全にダメな不思議ちゃん。でも、彼女は違うのね。精神病院への入院歴だとかふわふわした見た目だとかあどけない喋り口という表層に反して、意志の人。他の登場人物たちが大変思春期らしく迷い戸惑いブレブレな中、不安定の極みみたいなキャスはそうじゃない。彼女はどうしたいか分かっていて、その通りに進む。 最終シーズンのPureでは、恋人との長い旅を終え(明言されていないけど相手は多分シド)イギリスに戻ったキャシーが描かれる。ここでは、より一層、一見幻想の女の子でありながら現実に向き合っているキャスが明確に描かれている。ただ最後はちょっと違う。
 第1世代の両シーズンの終盤で、キャスはブリストルを離れる。1度目は、一向に振り向いてくれないシドに見切りをつけて、2度目は、クリスを支え、彼の最期を見届けて、最後NYに逃げ出す。どちらもシドが追っかけるんだけど、あんた遅いよ!ボンクラにも程があるよ!と、キャスびいきのわたしは思う。でも、Pureでは、彼女はロンドンに留まり、弟と暮らすことを選ぶ。ここで最終シーズンは、大人になった彼ら、すなわち「自分で責任取るから好きにさせてよ」ではなくて他人の選択のつけを払う(払わざるをえない)彼らが描かれるのだとわたしたちは気づく。

 彼女が好きな理由の一つは服がかわいいこと。


これは、キャスがシドを好きになるきっかけのシーン。それと、S2のCassieの回で、クリスの紅茶を買いに行ってあげるところで着ている、黒とグレーの斜めのボーダーワンピースに赤いパーカー羽織っているのとか大変かわいい。辛い場面なんだけど。
 Pureではキャスがかわいいだけでなく、クルクル頭のかわいい弟とクルクル頭のいささかストーカーじみているかわいいカメラ小僧ジェイコブ(オリー・アレクサンダー)が出てきて、たまらない。


 あと、キャス役のハンナ・マリーは、ベルセバのスチュアート・マードック監督の「God Help The Girl」にオリーと一緒にメインキャストを務めたりしています。クルクル頭のメガネがオリー。妖精っぽい。